“ヤナカアパートメントシェアハウス”日常エッセイ②

ヤナカアパートメントシェアハウスのコミュニティマネージャーを担う『かいり(ペンネーム:乖 離)さん』は小説家としても活動されています。
今回は以前好評だったかいりさんのエッセイコーナー第2弾となります!

ヤナカアパートメントでの暮らしをかいりさんの独特な視点からひと味違ったかたちで感じ取っていただき、
ひとつの物語として、ぜひ楽しんで読んでいただければと思います。

「ストレスラタトゥイユ」

あれだけ待ち遠しかった夏を空を睨みつける。谷中霊園に植えられた木々の影を踏んでシェア
ハウスに向かった。
道中、ネズミがポイ捨てされたゴミ袋に顔を突っ込んで、パスタの残骸を食べていた。
誰かが捨てたご飯なんか食べて心は満たされるのだろうか?
料理には感情が込められる。感情によって” 味” は変わらないと思うけど” 美味しさ” は変わると
思う。それに” 美味しい” というのは感情。つまり感受性が豊かな人はそれだけご飯を美味しいと感
じているはず。
ご飯を残し、ましてやポイ捨てする人に” 美味しい” って感じられる訳が無い。” 美味しい” とい
う感情はご飯のポテンシャルよりも食べる人のコンディションの方が大切。ポイ捨てする人も一
緒にカラスに突かれたらいいのに。
そんなことを思いながらシェアハウスの扉を開けた。
エアコンの冷気が汗をひかせてくれた。そして包丁で何かを切る音が聞こえてきた。キッチン
に向かうと、Mが料理する背中が見えた。
̶̶ ストレスが溜まると料理がしたくなるんだよね̶̶
Mがかつて言った言葉を思い出して、息をのんだ。
シェアハウスというのは赤の他人同士が共同生活を送る。互いの私生活を共有して新しい価値
観や考え方など未来を照らす光を生んでくれる。しかし摩擦熱を生まれてしまうことも、もちろ
んあった。
もしかして俺が何かしてしまったのだろうか。
そんな疑心暗鬼が鏡に映る。
そんな自問自答が心に写る。
そんな沈思黙考が我に憑る。
「お疲れ」
これからも一緒に住むルームメイト。この場から逃げては事態はさらに悪化していくだけ。向
き合わなければ。そんな正義感を夏がくれた。
「お疲れ」Mは同じトーンで返してくれた。
「何、作っとるん?」
「ラタトゥイユ」
「ラタトュイユ?何それ」
「レミーの美味しいレストランのやつやん」
「あ、あぁ。そうなんや」
俺はレミーのなんとかを知らなかったため、さりげなく相槌を返した。
テーブルには一口大に切られた玉ねぎ、にんじん、なす、ズッキーニ、ピーマン、トマトあった。
料理のスケール的にかなりのストレスが溜まっている模様。このままじゃ夏の突発的な土砂降り
のようにストレスが降り注いでしまうかもしれない。
そう思うと、そっとしておいた良いのかもしれないと保守的な考えが頭をよぎる。
Mは鍋にオリーブオイルを垂らし、テーブルに並べられた夏野菜を炒めた。
「皮ごと入れた方が栄養もあるし、出汁も取れるんだ」
鍋から聞こえるジューという音が、Mの機嫌を表現しているようにも聞こえる。
しばらくするとトマト缶を入れた。コトコトと赤い液体が怒りを具現化したかのように気泡を
出しながら沸騰。部屋にトマトの酸味の香りが広がる。
Mが鍋をかき混ぜている間にスマホでラタトュイユを検索した。
ガスコンロの火を消す、ガチャンという音が俺の顔を上げさせた。
「できたよ。よかったら乖離も食べる?」
「うん、ありがとう」
初めて食べるラタトュイユ。上京してから誰かの手料理を食べるのも初めてだった。
スプーンでスープを掬う。フーと息を吹きかけ湯気を飛ばす。スプーンの縁を下唇につけて啜
る。
「美味しい…… 」
美味しい。舌でも心でも、そう思った。トマトの酸味はそれほど主張せず、それぞれの野菜の旨
味がスープにとけこんでいる。
そして優しさを感じた。舌を撫で、食道を流れて心に染みる。そんなスープ。ストレスを込めて
作ったラタトュイユなのに。
「Aさんも食べてくれるかな?」
「Aさんがどうしたん?」
「うん。最近、Aさんまた痩せたような気がしてさ。聞いたらあんまりコンディションが良く
ないらしくてご飯を食べれてないって言ってたの」
「そうなんや」
「それでラタトュイユなら栄養もあって食べやすいかなと思って作ったの」
「そっか」
どうりでこんなに優しい味なはずだ。
「…… 優しいね」
「ううん、全然。ストレス解消しているだけだもん」
俺はラタトュイユをもう一口、啜った。やっぱり優しい。このラタトュイユに込められている
のはストレスなんかじゃなく思いやりだった。
誰かを思いやる心を作るには様々な感情をかき混ぜてコトコトと煮詰めなければならない。
甘い喜びも。
辛い怒りも。
苦い哀れも。
旨い楽さも。
それらを自分の中で料理して一つの心を作り上げる。
ラタトュイユはフランス発祥の郷土料理で19世紀までは貧乏人の食事として考えられてい
た。残り物の野菜を煮込んで作るスープで、和訳ではかき混ぜるという意味を持つらしい。
Mが作るラタトュイユはラミーが作るラタトュイユくらい美味しかった。

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