“ヤナカアパートメントシェアハウス”日常エッセイ①
2024年10月よりヤナカアパートメントシェアハウスのコミュニティマネージャーを担う『かいり(ペンネーム:乖 離)さん』は小説家としても活動されています。
かいりさんから「実は日頃からヤナカアパートメントの日常をエッセイとして書き留めているんです。」というお話を聞き、マチラボシェアでのエッセイ連載を今回からスタートする運びとなりました!
ヤナカアパートメントでの暮らしをかいりさんの独特な視点からひと味違ったかたちで感じ取っていただき、
ひとつの物語として、ぜひ楽しんで読んでいただければと思います。
お化けが出るならこんな夜。
十月の乾いた夜風が供花や板塔婆を揺らしてカタカタと音を立てている。等間隔に並ぶ街灯が
お墓の影をかたどっている。
今日の影はいつもより深い。
今日の夜はいつもより暗い。
今日の道はいつもより長い。
そう、感じるのは気分が落ち込んでいるからか。それとも…… 。そんな不透明な不安が足取り
を早くさせる。
神様へ、無事に帰れますように。
天王寺の大仏の視線の先で、俺は神様に願った。
シェアハウスに着いた。窓から溢れる灯りが現実に引き戻してくれた。ドアノブを捻り、靴を下
駄箱に入れる。靴紐は解けていた。
リビングに入ると人の気配はなかった。ただ灯りがついているだけ。みんな部屋の中に居るの
だろうか。足音を立てずにすり足でキッチンに向かう。リビングとキッチンの間にはもう一枚、
扉がある。扉の取っ手に指先をかけて、人の気配を探る。気配は̶̶ ない。
唾を飲んで扉を引くと̶̶ いた。身体の中に乾いた風が吹いて、鳥肌がたった。
「あ、お疲れ様」
そこにいたのは、Aさんだった。
Aさんのショートカットの髪が風に吹かれたように乱れており、机に肘をついてうなだれて
いる。その丸まった背中からは背骨の凹凸が浮き出ており、華奢なのがTシャツの上からでも分
かった。そんな姿に、失礼だが、お化けが出たと思ってしまった。
「お疲れ様。おったんや」
「うん、ずっといたよ」Aさんはお化けみたいに言った。
テーブルには食べかけのご飯が置いてある。湯気は出ていない。
「大丈夫?体調、悪いん?」
「うん、ちょっとね」
「風邪?」
「ううん、今日は新月だからね」
新月だからね?予想外の返答に言葉が詰まった。
「…… ん?どういうこと?」
「どういうことって?そのまんまだよ。今日は新月じゃん」
そうか。今日は新月か。月など気にして見ないから、無くても気が付かなかった。でも気がつ
いた。今日の夜がいつもより暗かったのは新月だったからか。
「新月なのと、体調って関係あるん?」
「え、うん。当たり前じゃん。地球に生まれたんだから」
思っていたスケール感よりも大きい返答に、理解が追いつかない。
「どういうこと?ごめん、全然、分からんわ」
「新月の夜は重力ストレスが最大になるの。月の引力が無くなるからね」
「え、そんなん関係あるん?」
「あるに決まってるよ。だって潮の満ち引きだって月が影響しているんだよ。だからこの地球に
生まれたからには月の影響があって当たり前なんだよ」
「そっか。俺、今まで、そんなこと気にしたことがなかったわ」
「気にしてなかっただけで、絶対に気の巡りは変わってるんだよ」
「じゃあ、逆に満月の日は調子良いん?」
「人間なんだから、そんな単純じゃないよ」
思っていたよりもあっさりとした返答に気が抜けた。
「あ、え、そっか」
窓の外から夜の音が聞こえる。スズムシの鳴き声や木々の葉が揺れる音。どこかの部屋から誰
かのくしゃみも聞こえてきた。
「まぁ、ちゃんと自分と向き合うことができたら気がつけると思うよ」
「…… そっか」
Aさんの言葉には説得力があった。そしてなんだか本当に身体と気が重くなってきたような
気がするような。
「新月の対処法はないの?」
「ないよ」
Aさんは真っ直ぐに俺の目を見て言った。
「相手は月だよ。敵うわけないじゃん」
俺は黙った。
「神頼みでもするしかないね」
Aさんはそういうと、残ったご飯を冷蔵庫に入れて部屋に戻っていった。
俺はベランダに出た。シェアハウスの周りは霊園に囲まれており、辺りは一面のお墓。空を見
上げると真っ暗で、微かに星が見えてる。
今日は日曜日。後、三時間くらいで新しい月曜日が訪れる。無事に迎えられますようにと手を
合わせる。だけど敵う気がしない。どんどん気が重たくなる。
そうか。今日は十月。神無月。神様は今、出雲に出かけている。
谷中の空には神はいない。
俺の頼みが叶うわけがなかった。